九鬼周造

「九鬼周造のなかの、幾何学的精神に何か負うとする気持と、
あんまり俗な具象的なものではなく、もっとやわらかな、
ぼんやりした不可解なものをつかもうとする気持と、この
二つが、九鬼さんの言葉を使えば主観的芸術へ向かわせたの
じゃないでしょうか。」

これは引用ですが、興味深いです。九鬼周造は主観的自由芸術
として模様、建築、音楽などをあげていて、音が絶えた瞬間の
しじまみたいなところに、日本人の本当の音があって、それは
「いき」の世界に通じることだとぼくはおもっています。

音が消えていく瞬間みたいなところをぼく自身が深く感じる
ためには、耳からだけでなく、自身の身体の内側から音を
感じることが大切で、身体に響く音(話し言葉)を追求して
いくことも「いき」につながることであるように思う。

「音」というとスピーカーから出てくる音をおもう人も多い
と思いますが、その音はぼくのいう音(話し言葉)とは少し
違います。音楽はぼくも好きですが、スピーカーから出てくる
音に自分がのめり込んでいくことはないでしょう。

まだわからないことばかりですが、これから先自分自身から
美を創造し表現するためには、内から把握するということは
ぼくにとってたいへん重要なことだと思います。

 

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文字

「言語は身体の迷宮を通りぬけて浮上してくる。文字もまた
そうだろう。文字は実在しない、こう考えたほうが、文字と
ダイレクトに向き合える。文字は、動機によってさまざまな
階層に存し、また消えていく。階層とは、定着している用語に
よれば、おもには、字体、書体、字形である。」

(グラフィック・デザイナーの鈴木一誌氏から引用)

「言語が浮上してくる」という表現はとてもすきです。ぼく自身
動詞の使い方にもっと幅をもたせたいと思っています。そうする
ことで交わった場所からも新たな発見があるでしょうか。

文字とダイレクトに向き合えるようになることは、言葉と身体の
関係性を深めていくうえで大切なことだと思います。

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安定感

「仮説は或る意味で論理よりも根源的であり、論理はむしろ
そこから出てくる。」

これは三木清「人生論ノート」からの引用ですが、ぼく自身も
仮説的に考えられる人間でありたいと思います。確実なものは
与えられたものでなくて形成されるものであるとも書かれていました。

考える力はこれからもいっそう高めていかなければならないと
考えていますが、ぼく自身が仮説的に考えていくためには、考える
力だけでなく、感じる力も必要だと感じています。

言葉と身体のつながりを感じるためには、考える、ということだけ
では限界があるように思います。

ぼく自身まだまだ論理を生み出す力は足りませんが、正しい姿勢
を真似しながら、自分らしい安定感を見つけていきたいです。

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松岡正剛氏の最新の千夜千冊で南方曼荼羅をはじめて知りました。
このような図があることに驚きました。

今のぼくではこの図をまだしっかりと理解できておりませんが、
たいへん興味深かったです。図を見て気付いたことはこれから
明確にして自分自身につなげていきたいと考えています。

松岡氏から教えていただいた言葉と身体は一緒であるということは、
これからもぼくの活動の根底にあることだと感じています。

素晴らしい図を知ることができたこと、いつも学ばせていただいて
いることに心から感謝しております。

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場所

「風が、身体内部の場所において、音声化の状態を獲得する。
そしてそれが喉に入って、息あるいは響きになる」

これはバルトリハリからの引用ですが、この場所を自分自身の
身体で感じることはぼくにとってたいへん重要なことだと
考えています。

ぼく自身、明確になっていないことも多くありますが、先人の
知恵に学べば学ぶほど、この場所への興味はこれからも強く
なっていくように感じています。

 

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松岡正剛氏 編集工学

先日、KK塾に参加してきました。
今期最後の講師は松岡正剛氏でした。

ぼくはこれまで何度も松岡氏の話を聞かせていただき、
言葉、言語に関わる多くの学びをいただきました。
今回の編集工学の話のなかで気になった言葉は動詞でした。

「またぐ」「わける」「ゆらぐ」「にじむ」などのなかで
特に興味深かったのは、最後に話された「言葉がにじむ」
という話でした。

ぼく自身、動詞についてもっと自由に使えるようになれば、
新たな感覚を感じることができるようにもおもいました。

松岡氏からは「言葉と身体は一緒です。」という言葉を
以前いただきました。その時から言葉への見方や考え方が
より良い方向へ向かっていっていると感じています。いつも
多くの学びをいただいていることに心から感謝いたします。

KK塾では川崎氏と講師の皆様に多くの学びをいただきました。
今後の自分自身の場創りに活かしていきたいです。
ほんとうにありがとうございました!

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バランス

話し言葉はピアノと似ていると感じることがあります。
身体の中にある鍵盤を鳴らして音を出すとき、その部分から
少し意識をズラすことを考えるようになりました。

その音を見過ぎずにノイズのようなものを聞いていた方が、
(感じていた方が)現実には聞こえない部分を響かせること
ができて、言葉と身体の関係をバランス良く感じられるように
思うことがあります。

無意識であるはずのものが意識されるようになると、逆に
ノイズのようなものを意識的に感じていた方がバランスを
取りやすく、少し俯瞰できるようになるのでしょうか。

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