量のモデルと質のモデル

カタストロフィー理論は「質のモデル」であるといわれています。

「量のモデル」と「質のモデル」とは一体何か、ぼく自身もまだ
よく理解できていませんが、自分自身を掘り下げて見ていく時の
ものの見方がこのモデルを区別できていないように感じています。

ぼく自身、この区別ができるようになれば、無意識な知的感性と
いうことももっと明確に感じることができるようになるのでは
ないかと考えています。

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バランス

話し言葉はピアノと似ていると感じることがあります。
身体の中にある鍵盤を鳴らして音を出すとき、その部分から
少し意識をズラすことを考えるようになりました。

その音を見過ぎずにノイズのようなものを聞いていた方が、
(感じていた方が)現実には聞こえない部分を響かせること
ができて、言葉と身体の関係をバランス良く感じられるように
思うことがあります。

無意識であるはずのものが意識されるようになると、逆に
ノイズのようなものを意識的に感じていた方がバランスを
取りやすく、少し俯瞰できるようになるのでしょうか。

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