収集

「芸術を通してわれわれが手に入れる知識は、
(事実とか倫理的判断のような)何かについての知識自体よりも、
何かを知ることの形式あるいは様式についてのひとつの経験なのだ。」

これは引用文ですが、自分がもっているものを新たな方法で
つなげるためには、このことも大切なことだとおもっています。

ぼく自身芸術を通しての知識はまだまだ少ないのですが、
これらの知識が増えていき、もっている景色の見通しがよくなり
自分自身喜びを得ることができれば、子供の教育にも活かすことが
できるでしょうか。

収集する作業を怠らず、自分自身明確にしていきたいと考えています。

 

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ことばを学ぶ

ぼくにはもうすぐ2歳になる息子がいます。これまで大きな病気や
怪我もなく、すくすくと元気に育っています。息子からは毎日多くの
学びをもらっています。ほんとうにありがたいことです。

父親として彼に望むことは、ことばに敬意を払って生きていって
ほしいと願っています。偉そうなことを言っていますが、ぼく自身
言葉に敬意を払えているかといえばまだまだです。息子に丁寧に
言葉を伝えながら自分自身も言葉を学び直していきたいと考えています。

ぼくの考えることばの教育のなかで、言語アートのようなものを
新たに創れないものかとおもいを巡らせています。もちろん今現在
ぼく自身が教材としての言語アートをすぐに創れるわけではありません。

言葉の見方が変われば、語学だけでなく、スポーツにも数学にも
様々な分野に関わる自身の感覚が変わり、それぞれのつながりが
良くなっていくように思うのです。

これから言葉を学んでいくなかで文字を描いていくことも
ぼくにとって重要なことになっていくと感じています。美しいかたち
を創り出していくために多くを学んでいきたいと考えています。

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つなぐ

これは古典インド言語哲学の第17章コトバ(1)ー根源ーから
の引用ですが、とても興味深いことが書かれています。

「コトバは、気息を拠り所とし、知識を拠り所とする。そして、
混じり合っている気息と知識という二つの能力によって、
それが開顕の状態を得たとき、意味=対象を、人に理解させる。
そのとき、気息は、知識それ自体によって内部に取り込まれ
一体化している。」

これを読んでおもうことは、知識の能力を向上するための教育
を否定しているわけではなく、その教育はたいへん大切なことだと
考えていますが、一般的に日本の教育では知識の能力を向上する
ための教育は受けるけれども、気息の能力を向上するための教育
を受けることはありません。

気息の能力を向上するということは感性の向上にもつながると
ぼくは思います。気息を学ぶにはヨーガなどがありますが、
デザイン教育にも取り込むことができるのではないでしょうか。

気息と知識をつなぐ教育がつくれたらほんとうに素晴らしい
ことだと思います。今のぼくにはつなぐ力が足りませんが、
これからも諦めずにことばとかたちの関係性を追いかけて
いきたいと考えています。

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ことばとデザイン

ぼくは長い間、ことばのことを考えてきました。
自身の深い場所にあることばをしっかり見つめて、さわってきたつもりです。

その場所には断片が収集され、分類されないまま放置されているものや、
自身の中で解体されたものが集まっている場所でもありますが、
そこには大きな可能性が詰まっているのです。

けれども、ぼくがさわってきたその感覚をことばだけで伝えることが
困難に感じています。ことばをつないで表現できたとしても、
その感覚は一部の人たちにしか伝わらないようにも思います。

ぼくがその場所で感じたことやさわった感覚を一番伝えたいのは、
これからことばを覚えていく子供たちでしょうか。

空間や場所をかたちにするのは大変なことですが、その表現は美しい
ものでなければなりません。美しいかたちを創るためにも、
ことばだけでなくデザインとも真摯に向き合っていきたいと思っています。

 

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