九鬼周造

「九鬼周造のなかの、幾何学的精神に何か負うとする気持と、
あんまり俗な具象的なものではなく、もっとやわらかな、
ぼんやりした不可解なものをつかもうとする気持と、この
二つが、九鬼さんの言葉を使えば主観的芸術へ向かわせたの
じゃないでしょうか。」

これは引用ですが、興味深いです。九鬼周造は主観的自由芸術
として模様、建築、音楽などをあげていて、音が絶えた瞬間の
しじまみたいなところに、日本人の本当の音があって、それは
「いき」の世界に通じることだとぼくはおもっています。

音が消えていく瞬間みたいなところをぼく自身が深く感じる
ためには、耳からだけでなく、自身の身体の内側から音を
感じることが大切で、身体に響く音(話し言葉)を追求して
いくことも「いき」につながることであるように思う。

「音」というとスピーカーから出てくる音をおもう人も多い
と思いますが、その音はぼくのいう音(話し言葉)とは少し
違います。音楽はぼくも好きですが、スピーカーから出てくる
音に自分がのめり込んでいくことはないでしょう。

まだわからないことばかりですが、これから先自分自身から
美を創造し表現するためには、内から把握するということは
ぼくにとってたいへん重要なことだと思います。

 

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ほどく

「ことばがそれ自体の肉体をもつということには複雑な内容が
かくされているが、一言にすれば、ことばが音としての生命を
得るということなのである。」

これは引用ですが、ぼくも同じように思っています。今はまだ
しっかり把握できているわけではありませんが、複雑な内容とは、
そこには多くの学問が絡み合っているようにも感じています。
もちろんノイズも含まれていると思います。

ことばを美しくするのは自分自身であり、先人の知恵に学び、
少しずつほどきながら、それらが学問であるのか、ノイズで
あるのかを判断し、調和を与えながらつなぎ直すことも大切
だと感じています。

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