つなぐ

これは古典インド言語哲学の第17章コトバ(1)ー根源ーから
の引用ですが、とても興味深いことが書かれています。

「コトバは、気息を拠り所とし、知識を拠り所とする。そして、
混じり合っている気息と知識という二つの能力によって、
それが開顕の状態を得たとき、意味=対象を、人に理解させる。
そのとき、気息は、知識それ自体によって内部に取り込まれ
一体化している。」

これを読んでおもうことは、知識の能力を向上するための教育
を否定しているわけではなく、その教育はたいへん大切なことだと
考えていますが、一般的に日本の教育では知識の能力を向上する
ための教育は受けるけれども、気息の能力を向上するための教育
を受けることはありません。

気息の能力を向上するということは感性の向上にもつながると
ぼくは思います。気息を学ぶにはヨーガなどがありますが、
デザイン教育にも取り込むことができるのではないでしょうか。

気息と知識をつなぐ教育がつくれたらほんとうに素晴らしい
ことだと思います。今のぼくにはつなぐ力が足りませんが、
これからも諦めずにことばとかたちの関係性を追いかけて
いきたいと考えています。

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ハーモニー

自分の内部で起きていることを、ぼく自身が理解し、美しい
かたちを生み出すためには、視覚と聴覚の感覚を明確に
しなければならないと考えています。

もし限られた時間の中で、視覚と聴覚を同時に感じなければ
ならない時、感性に寄りすぎていると判断が鈍ってしまうように
感じています。

視覚が切り離す感覚であるのに対し、聴覚は統合する感覚で
あること。視覚の典型的な理想は、分けて見ることに対して、
聴覚の理想はハーモニー、つまり一つにすることであると
いうことを、ぼく自身がもっと意識する必要があると考えています。

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虹彩とレンズ

「細胞の社会」を読んでいると、自分自身から美しいかたち
を生み出すために細胞から学ぶことも多いと感じます。
その中で虹彩とレンズの細胞について気付いたことを書きます。

イモリの眼のレンズを取り除くと、虹彩の上辺に食細胞が
集まり、虹彩の細胞の中にある黒色の色素を食べます。

しばらくすると、食細胞の方は黒くなっていきますが、
もともと黒かった虹彩の細胞の方は、だんだん無色になって、
その特徴を失い、「脱分化」することになります。

色素を失った細胞は身軽になり、さかんに分裂を始め、
どんどん数が増えていきます。分裂は無限には続きませんが、
やがて「分化」が起こり性格が表れます。

ところが、虹彩の細胞のような姿になるのではなく、
レンズになるのです。それはもとのレンズとの違いのない
立派なものです。

レンズの細胞は透明なことが特徴的な性格ですし、
そのほかにも、レンズにはクリスタリンと名付けられる、
きわめて特徴的なタンパク質が含まれているのですが、
再生してできたレンズにも、もとと全く同じクリスタリン
をもっているそうです。

虹彩の細胞がレンズになるまでの過程を知ると、自分の
場合は何かのかたちになるまでの途中の過程がぼやけて
いることが多いと判断できます。(同じことが起きている
ということではありません。)

ぼく自身、考えていることを記述するとき、見ている
範囲が広くなると軸のようなものがぶれてしまうと感じる
ことがあります。うまくたどり着いたとしても感性に寄り
過ぎています。もっと細部に視線を向けなければなりません。

たいへんむずかしいことですが、自分が辿る道筋を
もっと明確にし自分自身を観察できるようになれば、
ノイズもより体感できるようになり、管理できることも増え、
新たな手法を生み出すことができると感じています。

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