タイポグラフィ

タイポグラフィとは、意味を現実化させる行為。
ー中略ー
たとえば、「わたし」という文字とそれが意味するものとの距離は、
タイポグラフィによって近づけられたり遠ざけられたりする。

「わ・た・し」と表記したりかすれさせたり書体を変えたりと、
さまざまな方法でズレが演出される。

ズレがあることから出発するべきだろう。・・・

この文章は引用ですが、このことを一人でも多くの人が感じて
くれたなら素晴らしいことだと思います。でもこれはタイポグラフィ
だけに限らず、話しことばにもつながる大切なことだとぼくは
考えています。

タイポグラフィとは何かということを常に考え、丁寧にかたちを
つくっていきたい。そして、その場所から何かが動いていくよう
にもおもいます。

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つなぐ

これは古典インド言語哲学の第17章コトバ(1)ー根源ーから
の引用ですが、とても興味深いことが書かれています。

「コトバは、気息を拠り所とし、知識を拠り所とする。そして、
混じり合っている気息と知識という二つの能力によって、
それが開顕の状態を得たとき、意味=対象を、人に理解させる。
そのとき、気息は、知識それ自体によって内部に取り込まれ
一体化している。」

これを読んでおもうことは、知識の能力を向上するための教育
を否定しているわけではなく、その教育はたいへん大切なことだと
考えていますが、一般的に日本の教育では知識の能力を向上する
ための教育は受けるけれども、気息の能力を向上するための教育
を受けることはありません。

気息の能力を向上するということは感性の向上にもつながると
ぼくは思います。気息を学ぶにはヨーガなどがありますが、
デザイン教育にも取り込むことができるのではないでしょうか。

気息と知識をつなぐ教育がつくれたらほんとうに素晴らしい
ことだと思います。今のぼくにはつなぐ力が足りませんが、
これからも諦めずにことばとかたちの関係性を追いかけて
いきたいと考えています。

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かくこと

ぼく自身が「かくこと」について考えると、すぐに思い浮かぶのは
5歳の頃から習っていた書道と、当時の父親の趣味に興味をもって
描き始めたレタリングです。レタリングは10歳頃から好きになりました。

当時を振り返ると、ただ純粋に文字のかたちに興味があったのだと
思います。かたちが変化すれば意味も変化していくことを感じて、
ことばの意味と自分がつくった文字のかたちの意味のズレのような
ものを楽しんでいたように思います。

大人になりことばのかたちを考えていく過程で、本当に心から楽しい
と感じられるのは、つながりを感じられた瞬間のわずかな時間だけ
だと思いますが、自分が美しいかたちを創り出していくためには、
ことばを純粋に楽しんでいたあの頃の感覚は大切なように感じています。

 

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未来のことば

一度、ブルーノ・ムナーリ展に行ったことがあります。
作品のタイトルははっきりと覚えていないのですが、
「未来のことば」のようなタイトルの作品がありました。

そのことばはかたちで描かれていて、背景の色、それらのかたちも
少し暗い印象をもつ色合いでした。正円、正方形、正三角形など
は一切なく、左右、上下対照的なかたちも一つも使われて
いなかったように思います。

インターネットで探してみましたが見つけることができず、
一度しか見ていないので今見たら違う印象をもつかもしれませんが、
未来のことばがこう表現されるのはおもしろいなと共感しました。

この作品のムナーリ本人の意図はわかりませんが、ぼく個人の
感想はとても前向きなことばの見方であると思いました。

読むという行為で損なわれてしまった意味、音、機能および
可能性も感じられるように思いましたし、現代のことばを現代人が
かたちで表現したらこうなることもあるのかなとも思います。

ことばの背景を広げ、創造につなげていくためには有効である
ように思いました。

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