心の動き

ぼくは小説をあまり読まないのですが、先日、吉本ばななさんの
ある小説を久しぶりに読みました。

ぼくが常に考えていることなのですが、見えているものではなくて、
その奥にある心の動きを言葉でどう表現したら相手により伝えること
ができるのか、そのことに今回の読書でも気付くことがあり、
そして今回もまた幸せな気持ちになれました。

吉本ばななさんの本を読んだことで促された思考から自分が得た
喜びをもって、自分自身が独自の表現へ向かうことができたらと
思います。

 

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収集

「芸術を通してわれわれが手に入れる知識は、
(事実とか倫理的判断のような)何かについての知識自体よりも、
何かを知ることの形式あるいは様式についてのひとつの経験なのだ。」

これは引用文ですが、自分がもっているものを新たな方法で
つなげるためには、このことも大切なことだとおもっています。

ぼく自身芸術を通しての知識はまだまだ少ないのですが、
これらの知識が増えていき、もっている景色の見通しがよくなり
自分自身喜びを得ることができれば、子供の教育にも活かすことが
できるでしょうか。

収集する作業を怠らず、自分自身明確にしていきたいと考えています。

 

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古典インドの言語哲学(1)の「声ー音韻論者の見解ー」に
興味深いことが書かれています。

「身体の内部で発動する発声努力によって、上方へと昇ら
された気息(プラーナ)と呼ばれる風(ヴァーユ)は、
身体内部の火に助けられて、声を運ぶ諸々の穴を通じて、
声の繊細な部分を集める。それはちょうど、上昇するひとすじの
煙が、火に助けられて、繊細な部分を集めるのと同じである。
それぞれの発声部位においてこのようにして集められた声の
集合体は、単一の内的なコトバの不可分の影像を、ある光と
しての部分単位によって、受け入れる。」

古代には、声をこのように考えていた(感じていた)人がいた
のかと思うと、ほんとうに驚いてしまいます。

古典インドの言語哲学はまだまだ勉強中なのですが、上昇する
ひとすじの煙が、火に助けられて、繊細な部分を集めるような
知的な働きを感じるのは困難なことかもしれませんが、現代人
でも断片的には感じることができるようにもおもうのです。

考え続けていると写真のような景色をもつことができるのかも
しれませんが、それらをうまくつなげるには視覚や触覚も
必要になり、人間がこのような精神を感じるには、喜びの中に
であって苦しみの中にではない、ということも感じる必要が
あるでしょうか。

つなぎであるあいだは抽象的なものであると思いますので、
できる限り具象化することや、美に向かうための方向を
デザインで示すことができれば、奥行きのある映像を映し出す
ことができるようにも思います。

まだぼく自身が見ている景観はぼやけている部分も多いので、
光景、風景、情景をもっと明確にして統合化していきたいと
考えています。

 

 

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