九鬼周造

「九鬼周造のなかの、幾何学的精神に何か負うとする気持と、
あんまり俗な具象的なものではなく、もっとやわらかな、
ぼんやりした不可解なものをつかもうとする気持と、この
二つが、九鬼さんの言葉を使えば主観的芸術へ向かわせたの
じゃないでしょうか。」

これは引用ですが、興味深いです。九鬼周造は主観的自由芸術
として模様、建築、音楽などをあげていて、音が絶えた瞬間の
しじまみたいなところに、日本人の本当の音があって、それは
「いき」の世界に通じることだとぼくはおもっています。

音が消えていく瞬間みたいなところをぼく自身が深く感じる
ためには、耳からだけでなく、自身の身体の内側から音を
感じることが大切で、身体に響く音(話し言葉)を追求して
いくことも「いき」につながることであるように思う。

「音」というとスピーカーから出てくる音をおもう人も多い
と思いますが、その音はぼくのいう音(話し言葉)とは少し
違います。音楽はぼくも好きですが、スピーカーから出てくる
音に自分がのめり込んでいくことはないでしょう。

まだわからないことばかりですが、これから先自分自身から
美を創造し表現するためには、内から把握するということは
ぼくにとってたいへん重要なことだと思います。

 

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2つのことば

逸脱と正論、運動と創造など2つのことばをもっと意識して
ものごとを見て考えていくと、ぼく自身気付くことも多くなる
のではないかとおもう今日この頃。

それらを見極める力は足りませんが、自分自身がかたちを
認識するためにこのことは大事なように思います。

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未来のことば

一度、ブルーノ・ムナーリ展に行ったことがあります。
作品のタイトルははっきりと覚えていないのですが、
「未来のことば」のようなタイトルの作品がありました。

そのことばはかたちで描かれていて、背景の色、それらのかたちも
少し暗い印象をもつ色合いでした。正円、正方形、正三角形など
は一切なく、左右、上下対照的なかたちも一つも使われて
いなかったように思います。

インターネットで探してみましたが見つけることができず、
一度しか見ていないので今見たら違う印象をもつかもしれませんが、
未来のことばがこう表現されるのはおもしろいなと共感しました。

この作品のムナーリ本人の意図はわかりませんが、ぼく個人の
感想はとても前向きなことばの見方であると思いました。

読むという行為で損なわれてしまった意味、音、機能および
可能性も感じられるように思いましたし、現代のことばを現代人が
かたちで表現したらこうなることもあるのかなとも思います。

ことばの背景を広げ、創造につなげていくためには有効である
ように思いました。

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