ガラスペイント

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こちらはガラスにペイントしてあります。
筆を使って描いています。

店内の内装、商品などを背景に文字を見ることは、
本や看板などとは違う文字を見る感覚を感じることができて楽しいものです。

文字の向こう側に奥行きを感じることも大切なことのように思います。

 

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エンブレム

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抽象概念を視覚的に具現化させることで相手にも伝わりやすくなります。

ことばで伝わりにくいことを図案におこしてあいだに置くことで
より強くつないでくれます。

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2015年9月25日 | コメント/トラックバック(0)|

カテゴリー:店舗看板

余白

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こちらは名刺サイズのカード用に作成しました。

ことばを話すときは、景色を想い浮かべたり、いろいろなイメージを
重ね合わせながらことばをつないでいきますが、音に変換するあいだに
ことば(文字)の配置をイメージできたらいいなと思うことがあります。

秩序もあって自分にとって心地よい余白を感じることができたら、
話しことばも音楽のように感じることができるのでしょうか。

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2015年9月23日 | コメント/トラックバック(0)|

カテゴリー:店舗看板

ことばとデザイン

ぼくは長い間、ことばのことを考えてきました。
自身の深い場所にあることばをしっかり見つめて、さわってきたつもりです。

その場所には断片が収集され、分類されないまま放置されているものや、
自身の中で解体されたものが集まっている場所でもありますが、
そこには大きな可能性が詰まっているのです。

けれども、ぼくがさわってきたその感覚をことばだけで伝えることが
困難に感じています。ことばをつないで表現できたとしても、
その感覚は一部の人たちにしか伝わらないようにも思います。

ぼくがその場所で感じたことやさわった感覚を一番伝えたいのは、
これからことばを覚えていく子供たちでしょうか。

空間や場所をかたちにするのは大変なことですが、その表現は美しい
ものでなければなりません。美しいかたちを創るためにも、
ことばだけでなくデザインとも真摯に向き合っていきたいと思っています。

 

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読書会

お盆に当スタジオで読書会が開催されました。この読書会は年に一回の
ペースで開催され、今年はぼくのスタジオで集まることになりました。

参加者は14名。今回は「旅」というテーマで、旅から連想される本を
参加者のみなさんそれぞれが選び、その本をお互いに紹介しあいます。

歴史、科学、思想、文学、教育、絵本、漫画など興味深いお話ばかりで、
みなさんの想像力によって生まれた言葉に包まれたあっという間の10時間でした。

今回、ぼくが選んだ本はスーザン・ソンタグの「写真論」でした。

この本は1年半前ぐらいに書店で見つけて購入しましたが、
前回は自分の中に落とし込むことができなかったので再度チャレンジしました。

スーザン・ソンタグは、第一章のプラトンの洞窟でこう述べています。

「写真はひとつの文法であり、さらに大事なことは、見ることの倫理である
ということだ。(中略)写真を収集することは世界を断片を収集することである。」

興味深いですね。写真がひとつの文法であるならば、写真と言葉との
関係を感じますし、断片を収集するということは、自身のなかで解体されて
しまったものを編集することにもつながります。

第三章のメランコリーな対象では、ベンヤミンは引用文の熱心な収集家
であったということにもふれています。本文から引用します。

「ベンヤミン自身の理想の計画が、写真家の活動の昇華した形のように
読めるからである。 この計画というのはまったく引用文だけからなり、
したがって感情移入を示すようなものは一切欠く文学批評の仕事であった。

感情移入を拒否し、御託宣屋を軽視し、見えないことを求めること―
これが大方のプロの写真家が支持していた戦略である。写真のなかに
普遍化されると、過去を保存する行為を通じて過去の解体を積み重ね、
新たに平行した現実を組み立てることによって過去を直接なものにしながら、
現在を過去に、過去を過去性へと変貌させることになるのである。

現在に向いているようでも、やはり過去の感覚と結びついているある情熱に
かきたてられるという点では、写真家も収集家と同じである。」

ボードレールにもふれていました。

「写真家はくず拾いの足跡を辿るのである。それはボードレールが好んで
近代詩人の象徴に使ったもののひとつであった・・・。(中略)
大都会が捨てるあらゆるもの、それが失うあらゆるもの、それが軽蔑する
あらゆるもの、それが踏みつけるあらゆるものの目録を彼は作り、分類する・・・。
彼は事物を分類し、上手に選ぶ。」

収集したものを分類する。くず拾いで収集したものを分類して上手に選ぶと
述べられています。この“上手”というのが重要でしょうか。

断片を道具箱にただ入れているだけではその可能性を活かすことはできない。
それでは方法を生み出せない。独自の感覚で選ぶのではなく、
分類して上手に選ぶこと。これはぼくにとって大きな発見でした。

第四章の視覚のヒロイズムでは、ヴィトケンシュタインにもふれていました。

「個々の写真は断片にすぎないから、その道徳的、情緒的な重みは
それをどこに挿入されるかにかかっている。一枚の写真はそれが見られる
文脈によって変わるも のである。

ギャラリー、警察のファイル、写真雑誌、一般ニュースで見た場合は違って
見えるだろう。これらの状況はそれぞれちがった用途を暗示しているが、
どれも写真の意味を確実にすることはできない。ヴィトケンシュタインは
言葉を論じて、意味とは用途で“ある”といったが、写真もまた同じである。」

写真論からベンヤミン、ボードレールを通り、ヴィトケンシュタインへ。
写真論から言葉を学ぶことができるということが、今回の読書でぼくが
獲得したものでした。

この流れを子供の言語教育に活かすことができないだろうかと思うのです。
わかりやすい写真や美しいデザインを使用して、子供たちの年代の状況を設定し、
収集と分類を楽しむことで言葉を学ぶことができたら素晴らしいことです。

くず拾いで収集したものを分類するのは、もしかすると大人より子供の方が
上手なのかもしれない。普段、大人が捨ててしまっているものを、もう一度
見つめ直すことができれば大切なものに気付き、自身がもっている言葉への
接し方も変わってくるのではないでしょうか。

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2015年9月2日 | コメント/トラックバック(0)|

カテゴリー:イベント

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