要素と全体

『形態と構造』のカタストロフの構造「要素と全体」から引用します。

『全体を要素に分解し、要素を統計してしまえば、異質の要素
の集合である全体を再び概念的に構成することはできなくなる。
・・・中略・・・
カタストロフ理論にによれば、全体を構成する要素の間の、
ほんのわずかの差異の存在が、全体としての形態すなわち
質的構造の成り立ちを説明するのである。言いかえれば、
統計すれば解消されてしまうような、ごくわずかの量的差異の
存在が、全体としての形態を説明するのである。』

「ほんのわずかな量的差異」。

ここだけに焦点を当てて考えてみると、それぞれの位置や方向に
特殊な強弱がそなわっているようにも感じます。ほんのわずかな
ものではありますが、ここを見る見方によっては、大きなもの
にもなるでしょうか。

通常は解消されてしまうものを、自分の中だけでつじつまを
合わせてしまうと、常識からは大きく離れてしまうものに
なってしまう可能性がありますが、敢えて大きなものにして
しまうことで自分にとっては案外と扱いやすいものになり、
全体の隠喩のように使うこともできるのではないかと感じています。

もちろん客観的に見れることが絶対条件だと思っていますが、
自分の中でことばを安定的に結合できるようになれば、その方法は
共有できるものとして受け入れてもらえるのではないかとも思います。

「質のモデル」「量のモデル」ということもまだしっかりと
理解できていませんので、間違っているかもしれませんが
思ったことを書きました。

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